エッセイ5 旦那様と私(来樹杏果)

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今では特別な存在の旦那様。

最初の出会いは、中学のときです。

「こいつ小4のとき引っ越しできたんだ。よろしくね」と男の同級生が私と友達に学校で紹介してきました。

別に恋愛対象としてではないのでしょうが、彼がなぜ紹介したのかは謎です。

旦那様はこのときのことはかすかにしか覚えていないらしいです。

旦那様とはクラスで1度も一緒になったことがなく、再会する同窓会までどんな人だかあまり分かっていませんでした。

旦那様は「?才のとき運命の相手と出会う」と占い師に言われていたらしいです。

私と同窓会で会ったのは、旦那様がその年になる直前。

その年になって、私と友達になりたいと願ってメッセージを送ってくれました。

最初はメール仲間、友達、恋人と経て、夫婦になりましたが、まだまだ新婚気分です。

子供がいないからかな?

年を経てもいつまでも今のままの仲良しでいたいです。

 


 

エッセイ4 恥ずかしがり屋だった私(来樹杏果)

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子供の頃は恥ずかしがり屋で、いつも母の後ろに隠れていました。

自己紹介とか、当たるの嫌で、もう恥ずかしくて、人前に出られませんでした。

自分の書きたい欲も、誰にも知られたくなくて、家で隠れてお話を書いていました。

高校に入って、それまでの私を知る人が少なくなって、勇気が出るように。

それ以来は、人前で小説読むのも、友達の前でお話を書くのも平気に。

それでも、普通の人よりかはやっぱり臆病。

小説を読んでもらいたい感情と、こんな話読ませるのはという感情の狭間で揺れ動きながら、作品をアップしています。

えへ、今も、日記やエッセイを書くのは、ちょっぴり恥ずかしい☆

でも、知って欲しい気持ちもちょっぴり。

こんな作者が書いている作品か、と思われないといいな、なんて思っています。

 

エッセイ3 恋に恋した少女時代。(来樹杏果)

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私は一目惚れが多いです。

旦那様を除き、相手をほとんど知らないうちに恋をしています。

恋の回数は数えたら両手で足りないほど。

でも、恋人になった人は数人です。

旦那様を除きみんな短い期間だけ。

どの相手も旦那様を除き、相手の嫌なところに我慢できず、私からさよならを。

たぶん、相手をちゃんと知らずに恋していたからでしょう。

恋に恋していた少女時代は、旦那様を好きになって終わりました。

もう占いで「運命の相手があなたを想っています」とか書かれていても、興味は引かれません。

占いは時々するけれど、金運や仕事についてとかくらいかな。

一度、恋人にはなれませんでしたが、ずっと心に残っていた好きな人がいました。

少女時代の恋で本気だったのは、彼くらいかな。

彼のことは、最初嫌いだったのですが、いつからか気になり始め夢中になって、離れてどこに行ったか分からない彼を探した日も。

懐かしいです。

今ではもう会いたいとは思いません。

嫌いになったわけではありませんが、今は旦那様がいるしね。

恋はこんな感じが多いので、傷つくことが多かったです。

好きな人に嫌われるなんてこともありました。

今でも昔を思い出すと、あのときの自分を消したくて、「あー」と恥ずかしさや後悔を。

いつか笑い話にできるのかなぁ。

エッセイ2 大好きな友達(来樹杏果)

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私にとって友達は特別な存在です。

子供の頃大好きだった友達が私をそれほど好きじゃなかったのか、と思うような出来事があって以来、自分から友達を作ろうとはしなかったのですが、私に近寄ってくれた友達はとても大事に思っています。

前のエッセイにも書いた通り、ストーリー作りに関係ないことは興味をほとんど持つことがなかったのですが、友達と遊ぶことは楽しかったです。

そういえば、友達とストーリー作り以外にも遊んだことありましたね。

トランプとか、かくれんぼとか。

鬼ごっこは鬼になるのが嫌でしたが、他の楽しい遊びは友達とやるのは大好きでした。

友達とは同じ人を好きになることがありましたが、「一緒に頑張ろう」と言い合う、仲の良さの変わらない関係で、とても幸せな友人関係を築いてこれたな、と思っています。

友達と一緒に習い事をしたり、また違う友達と一緒に住んだり、もう長い付き合いの友達が多いです。

今回、ゲーム小説を友達と作ることにしました。

一緒に住んでる頃だったか、「一緒に小説作ったら面白そうだね」なんて話してたことを思い出したからです。

彼女に見てもらうとなかなかいい意見をもらえて助かっています。

早く作り上げたいけれど、彼女も忙しく、私自身も他の作品も書かないといけないので、もうちょっとかかるかな。

彼女以外は最近会ってないので、会いたいなと思いながら、なかなか「会おう」と言えません。

友達だから遠慮しすぎてもいけないとは思うのですが、なかなかね。

ちょっと勇気の足りない私です。

もっと友達と会って仲良くしたいと思います。

エッセイ1 私にとって「生きる」とは(来樹杏果)

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幼い頃の一番古い記憶は、頭の中でお話を考えていることでした。

小学1年生のときの「将来何になりたいか」と聞かれてお話を作る人になりたいと漠然と思った私は、自分が書く以外のことに対する興味はほとんどありませんでした。

人の作品にも興味なく、遊びは基本お話を考えることばかり。

小さな人形で遊んだり、着せ替え人形やままごとをしたり。

旅行に行っても別段楽しむわけでもなかった私は、子供としてちょっとおかしかったんじゃないかな。

 

子供の頃、つらいことがあって、そのとき読んだストーリーに心動かされ、私ははっきりとお話を作る人間になりたいと決意しました。

その日から書き手となるための勉強をはじめました。

自分にとって、書くために役に立たないと思われることをするのは無駄な時間と考え始めました。

音楽や映画や小説、漫画などの芸術に触れるのは能力を高めるとどこかで聞いた私は、歴史者やノンフィクションやエッセイなどは役に立たないという偏った考えで作品を選び見聞きしてきました。

友達との会話は自分が書く話に友達との会話を書けるから役に立ちそうと考え、友達と会うことは自分に許していましたが、恋人になればハッピーエンドになる話ばかりを考えていた私は、片思いの恋は必要でも、恋人と過ごす時間は無駄だと考えるようになりました。

つらいことが起きると、「これはお話に書こう」と考えるようになり、そう思うことでつらさを乗り切っていました。

私にとって「生きる」とはお話を作るために存在し、それ以外のものは不要だと考えるように。

 

その頃は、不要だと思えたことでも、楽しいことならいい経験として役に立つ、という少しばかり自分にとって都合の良い解釈をして、いろいろ遊ぶこともしましたけれど、歪んだ思考だということに気付き始めたのは、旦那様と付き合い始めてからですかね。

なんか、いろんなことを旦那様と議論するように話し合って、違う人の思考というものを理解したのかもしれません。

ここ最近になっていろんなことを勉強しようと思うようになったのは、今までの考えじゃなくなったからですね。

いろんなことに興味が出てきました。

子供の頃もっといろいろやっておけば良かったな、と思います。

――でも、それは「その経験を小説に書けるから」であって、どうしても、歪んだ考えを矯正できないのです。

 

一人で遊ぶ「トランプゲーム」や「マインスイーパー」など。どんなにそのときが楽しくても「無駄な時間を過ごしてしまった」と後悔します。

楽しければ、無駄じゃないですよね。

楽しくなかったのなら、それがどういうものか分かるし、楽しくなかったって気付きができたわけで、それもきっと無駄なんかじゃない。

眠ることは健康のために大切だと分かっていながら眠る時間がもったいなくて寝ないとか、私ってばかじゃないですかね。

何もしないと健康じゃなくなって、風邪引いたりするので、そうすると作品作りに邪魔が入るから、健康になろうとか考えてしまう。

「生きる」って、そういうことじゃないと思うんですよ。

お話を考える趣味のない人にとって、「生きる」って、楽しい時間を過ごしたり、何かに癒やされたり、誰かと仲良くなったり、そういう時間が大切だと思っていると思うんですよ。

スポーツをする人は、スポーツがうまくなることが目標だったり、会社で頑張っている人は、会社で成功することが目標だったりするわけですよね。

世の中のお母さんたちは、子供が元気でいられるために料理をしたり、家を掃除することが大切だったりするわけだし。

 

そんなことをちょっと考えてみました〜。